第一期PIER STATIONも一年余りの活動でメンバーの変動があったりもしました。
まずはリード・ギターリストの加入で6人編成となったのも束の間でしたが、
その間は野外スケート場とのレギュラー契約を結んで、毎週のように野外ステージで演奏しておりました。
この契約が取れた時には嬉しくて、
初めて貰うギャラというものにメンバー全員が顔をほころばせたものでした。
またおいしいことに、そのスケート場には俺たち専用として使えるスタジオのような部屋がありまして、
無料で好きな時に好きなだけ練習が出来るという特権がありました。
期間限定契約ということでありまして、
スケートリンクのシーズン中は毎週出演するというノルマはありましたが、
野外だということなので勿論天候に左右されるわけです。
雨とか雪の日は中止ということになり、そのシーズン中のほとんどが雨とか雪の日でした。(笑)
メンバーの都合でどうしても揃わなかった日でも無理をして出演したりしておりましたが、
一番最悪だったのがドラム、サイド・ボーカル、キーボードが抜けて、
どうしてもボーカルとギター、ベースの3人だけで
やらなければならないという事態が起きてしまいました。
し方なしに俺はドラムを叩くことになったのですが、どうしてもリズムが合うはずもなく、
バラバラな状態で一曲だけ演奏し、辞めてしまった日というのもありました。
その時に吐いた言葉が「無理なら辞めよう 最初からするなっ!」ということでした。(笑)

最終的にバンド・メンバーが4人になってしまい、
これからの活動をどうしていくのかを話し合ったりしておりました。
とにかくいろんなところに出演したいというのが俺たちの気持ちでありまして、
練習してるからにはどこかで発表の場というものを設けたいという
気持ちにもなってくるものなのです・・・。
当時一冊の雑誌を買ってきまして、サークル・メンバー募集という欄に目がとまりました。
とにかくサークルってなんぞや?みたいなところがあったので入ってみようということになりました。
4人編成になってからも、ギターを中心とした曲作りに励み、
レパートリーも一応の曲数を確保できるまでとなっておりました。
活動拠点をそのサークルに標準を合わせ、またいろんな人とも友達になったりもして、
出れる場所があるならばどこへでも行きまっせ〜精神のもと、意欲的に活動しておりましたね。

その昔、大阪にありました森之宮青少年会館小ホールというところで
行なわれてたコンサートによく出演しましたね。
あとはライヴ・ハウスのイベントなどにも多く出演しまして、
その頃(1984年〜1986年)は年間に5、6本の割合で
コンサートをしておりました。
連チャンという月もあったりなんかして、
スタジオ練習も週に二回だとかいう期間もありました。
だいたいメンバー全員に言えることなんですが、それぞれ家では練習しないということもありまして、
スタジオに入って腕を磨くということが多かったように思います。
それを現在も引きずってるような気もしますが、
元々PIER STATIONというバンドは
自宅練習が嫌いな奴らが集まったバンドとも言えるでしょう。(笑)

ライヴの緊張感というものは今でも起こったりなんかするんですが、
まず一曲目、二曲目ぐらいまでは非常に緊張するものなのです。。。
一時のピークを過ぎますと、あとはノリでやっちゃうみたいなところがあるんですが、
それでも歌詞を間違えたりコードを間違えたりもするものなのです・・・。
まぁアマチュア・プロに関わらずに、みんなそんなところがあるかと思われるのですが、
コンサートが終わったあとの反省で落ち込んだりした日もありましたね。(笑)